大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和50年(ワ)2164号 判決

原告 千葉八郎

同 千葉千代子

右原告ら訴訟代理人弁護士 中平健吉

右訴訟復代理人弁護士 河野敬

被告 昭和海運株式会社

右代表者代表取締役 末永俊治

右訴訟代理人弁護士 市川渡

同 白上孝千代

主文

被告は、原告らに対し、各金二一一一万二五三九円及びこれらに対する昭和五〇年三月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の各請求を棄却する。

訴訟費用は、これを七分し、その六を被告の、その余を原告らの各負担とする。

この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は、原告らに対し、各金二五〇〇万円、ならびにこれらに対する昭和五〇年三月二七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  死亡事故の発生

被告会社が用船した油送船初島丸が、昭和四五年一一月一七日午後八時頃宮古島東方海上を航行中同船の機関室に設置されていた「キディⅠ弁方式」と称する固定式炭酸ガス消火装置(以下、本件消火装置という)のガスシリンダーが突然作動し、たまたま、ガスシリンダー室内に取り付けられていたボイラー室用区画弁の手動レバー付きコントロールヘッドが上に上げられ、同弁が開放の状態になっていたため、シリンダー室の一九八本のガスシリンダー内の炭酸ガスの全量が、右区画弁を通過してボイラー室内に噴出し、そのため当時、当直勤務で右ボイラー室内においてダンバ制御器の調整作業をしていた被告会社の被傭者(昭和四一年四月一日入社)で三等機関士であった亡千葉寿憲が噴出ガスによって窒息死するに至った。

2  被告の責任

(一) 使用者責任(不法行為責任)

被告会社の被傭者である一等航海士の訴外松野省三は、当時、同船甲板部の安全担当者として、本件消火装置の保守、整備の責任者であったから、本件消火装置の構造及び作動を理解して同装置を正常に機能させるべく、常時点検し、いやしくも同装置によって乗務員に危害を加えることのないよう配慮すべき職務上の注意義務があり、しかも、前記ボイラー室用区画弁の手動式レバーに差し込まれていたロックピンが引き抜かれ、そのピンをガスシリンダーに結びつけていた針金が外され、機関室、ポンプ室用の他の手動レバーヘッドが下の正常な位置にあるのに、ボイラー室用のレバーヘッドのみが上に上げられていたのであるから、通常の注意で点検しておれば、右異常に気づき、その意味を理解し、レバーヘッドをもとの位置に戻すことができたのに、同人は、同装置に対する関心が薄く、備付の英文取扱書を理解しようとせず、本件事故時まで久しく点検を怠り、右異常に気付かず、前記ボイラー室用企画弁を開放のまま放置した過失によって、本件ガスの噴出による死亡事故を惹起せしめたのであるから、同人の使用者である被告は本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

(二) 安全保証義務違反(債務不履行責任)

被告は、前記千葉の雇傭主として、同人から労務提供を受領するに際しては、その生命、健康等に危険が生じないように労働環境の整備を行ない、同人の安全を保証する義務を有しているのに、これを怠り、前記のとおり、同人が作業中のボイラー室内に炭酸ガスを噴出させて同人を窒息死させたのであるから、被告は、右債務不履行に基づき、これによって生じた損害を賠償すべき義務がある。

《以下事実省略》

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

そもそも、使用者は、労働者に対し安じて労働義務の履行をさせるべく労働者の生命健康等を危険から保護するよう配慮すべき一般的安全配慮義務を負い(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁参照)、特に、船員の使用者は、船内作業による危害の防止のため、船内における作業環境を整備する等してその環境を常に良好な状態におくよう努めなければならず、また船内衛生の保持のため、船内の作業場所等の環境条件を衛生上良好な状態におく等船員の健康の保持を図るよう努めるべき義務がある(船員法第五条、第八一条第一項、船員労働安全衛生規則第一条、第一七条、第二九条参照)。

したがって、前記のとおり、被告会社の被傭者である船員の亡千葉が、初島丸に乗船当直勤務し、ボイラー室内で作業していたところ、突然、本件消火装置のシリンダー内の炭酸ガスの全量がボイラー室内に噴出し、その炭酸ガスによって窒息死したのであるから、被告が、亡千葉の使用者として、同人に対する前記安全配慮義務を著しく怠ったことは明らかである。

二  被告は、本件ガス噴出事故に関する被告の無過失及び被害者亡千葉の過失を主張するが、本件全証拠によるも、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

かえって、当事者間に争いのない事実と《証拠省略》とを総合すれば、別紙記載のような初島丸及び本件消火装置の構造等並びに本件事故の経緯、本件消火装置について本件事故当時英文の説明書が船内にあり、これを子細に検討理解すれば、区画弁の構造機能を含む本件消火装置の構造と操作に関する必要な知識をうることができたこと、しかるに、当時、初島丸の甲板部安全担当者で、本件消火装置の保守整備の責任者であり、被告会社の被傭者である訴外松野省三(当時同人が甲板部安全担当者で本件消火装置の保守整備の責任者であったことは当事者間に争いがない)は、その責任を充分自覚せず、英文説明書(英文の理解が困難であれば翻訳を求めるべきである)によって本件装置の構造及び機能を理解しようとせず、本件消火装置について、責任者として必要な知識を持たず、ガスシリンダー室内を通過しているタンクのフロットゲージのリモコン装置のパイプの液漏れの修理のため、同室内に二、三回入ったことはあるが、本件装置について外観検査さえ行なわず、全く関心を示さなかったこと、そして本件シリンダー室入口には関係者以外立入禁止の表示があったが、扉が開かれ、室内に不要品をつめた柳行りや計器の裏ぶたが置かれ、他の乗務員の自由な出入を許していたこと、また松野は船長その他被告会社の監督者から格別の指示監督を受けず、前記状態のまま放置されていたこと、他方、ガス噴出前の警報用のサイレンについて日本文の説明書がボイラー室内にかかげられていたが、本件事故まで、乗船員は、そのサイレンの吹鳴を聞いたことがなく、右説明書以外サイレンについて格別の注意も受けたことがなかったこと、亡千葉は、ガス噴出後間もなく、ボイラー室から最短距離で約五〇メートルの場所まで退避したが、噴出ガスのため窒息死するに至ったこと、以上の事実が認められる。

これらの事実を総合すれば、訴外松野が、本件消火装置の構造と機能を理解してこれを点検し、ボイラー室用区画弁が開放の状態になっていること、したがって、ガスシリンダーが作動すればボイラー室内にガスが噴出し、室内で作業する者に危害があることに気付き、区画弁を閉鎖すべくレバー操作をしていたならば、シリンダーが作動してもボイラー室にガスが噴出することもなく、したがって、亡千葉がこれによって窒息死することもなかったことが推認できる。そうだとすれば、本件船舶の甲板部安全担当者であった訴外松野には、少くとも、本件消火装置の点検、整備、危険防止措置を怠った過失があることは明らかである(船員労働安全衛生規則第五条第二、三号参照)。もっとも、各ガスシリンダーと主管とを連結するたわみ管の各継手部分に約一六〇箇所のガス漏れ部分があったことは前記(別紙)認定のとおりであり、前記区画弁が閉鎖されていれば、シリンダー内のガスがこれらガス漏れ箇所から噴出して乗船員に対し危害を及ぼす危険があったことが推認できるが、たとえそうだとしても、右ガス漏れ箇所について松野の整備上の責任を問われることはあっても、同人の前記過失を否定することにはならない。また、ガスシリンダーの作動自体について被告の無過失を認めるに足りる証拠は前記のとおりみあたらない。したがって、被告は、亡千葉に対し、前記安全配慮義務不履行に基づき、本件事故による損害を賠償すべき責任を免れることはできない。

三  請求原因3の(一)の事実は、原告ら主張の逸失利益額、生活費の割合を除き、当事者間に争いがない。

そして、亡千葉の生活費は五割を減ずるのが相当であるので、同人の各年度収入からこれを控除し、五一年度以降年五分の割合によるライプニッツ方式により中間利息を控除して、昭和五〇年時における現在額を算出すれば、別紙計算表記載のとおり、同人の死亡による逸失利益額は合計三七四〇万九〇七九円(円以下切捨て)となる。

また、亡千葉がその死亡によって精神的に甚大な損害を被ったことは容易に推認しうるところであり、本件諸般の事情を考慮すれば、その慰謝料は一〇〇〇万円と認めるのが相当である。

四  前記争いのない請求原因3の(一)の(2)の事実によれば、原告らは、亡千葉の父母として、各二分の一の割合で、同人の権利を相続したことになるので、前記損害合計四七四〇万九〇七九円の二分の一である二三七〇万四五三九円(円以下切捨て)の損害賠償債権をそれぞれ取得したこととなる。

そして、原告らが船員保険から各二五九万二〇〇〇円の給付を受けたことは原告らの自認するところであるので、これを控除すれば、原告らの被告に対する損害賠償債権残額はそれぞれ二一一一万二五三九円となる。

五  よって、原告らの被告に対する本訴各請求のうち、右損害残金二一一一万二五三九円とこれに対する本件不法行為後である昭和五〇年三月二七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を正当として認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、九二条、九三条、仮執行宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 若林昌俊)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例